歌舞伎座の昭和を偲ぶ三冊
2010.03.14 Sunday | category:本

渡辺保 「私の「歌舞伎座」ものがたり」
歌舞伎座が空襲による消失から建ちなおった昭和26年から、取り壊しになる今年まで、60年にも及ぶ歴史の中で、演劇評論家である著者が観て、心にとどめた数々の名場面や名優たちの思い出を綴ったエッセイ集です。
歌舞伎座だけでなく、新橋演舞場や国立はもちろん、京都の南座やこんぴら歌舞伎なども数多く観ている著者ですが、歌舞伎座というのは特別な場であり、歌舞伎座の舞台には魔性の者が棲む、それは他の劇場には無いもので、歌舞伎座だけが持つ幻想性であり、その正体は「伝統」であると言います。
ともすれば広すぎると言われる歌舞伎座の舞台で、演劇史に残る名優たちはその空間をどのように自分のものし、観客の心をつかんでいったのか、渡辺保さんのきびしい目を通して伝えれる名場面の数々に胸がときめきます。
山川静夫 「大向こうの人々」
大向こうとは歌舞伎座の3階席そのもの、または足繁くそこに通って「中村屋っ!」「音羽屋っ!」などと威勢の良い掛け声をかけるコアな歌舞伎ファンのこと。
NHKのアナウンサーである山川静夫さんは、学生時代に歌舞伎にはまってしまい、いわゆる「大向こうの会」に入会します。周囲が心配するくらい歌舞伎座に通い詰めた山川さんはそこで知り合った人々や、歌舞伎役者と交流を深め、やがてはその声色の巧さを認められて、先代中村屋の舞台で早変わりの手伝いをするまでになります。
この本は、そんな山川さんと大向こうの会の人々との歌舞伎座3階席を舞台にした青春物語。
昭和の中頃では、大向こうの観客と役者のとの間にこんなにあたたかい交流があったのかと驚くことも多々あります。
歌舞伎に通う以上はいつかは3階席から、「成田屋っ!」とやってみたいもの。そのためのノウハウはぎっしり詰まってます(笑)
中川右介 「十一代目團十郎と六代目歌右衛門 悲劇の『神』と孤高の『女帝』」
昭和の中頃、60年間途絶えていた、劇界においては「神」と同義語である名跡市川團十郎を復活させ、その劇界を一身に背負う運命にあった十一代團十郎と、美貌と才芸を武器に人間国宝、文化勲章などを手にし劇界の女帝へとのし上がった六代目中村歌右衛門。その後の劇界を牽引していくことになる、当時は若手であった幸四郎、松緑、勘三郎(いずれも先代)らと、その興行元であった松竹や東宝。歌舞伎を上演する人々、あるいはそれを支配する人々の権力構造を軸にし、それにまつわる野望、嫉妬、謀略などの劇界の裏側をえぐった作品。
舞台や芝居、芸そのものに触れることは少なく、十一代目團十郎と六代目歌右衛門を中心にひたすら舞台裏の権力闘争や政治的な争いを描いているために、歌舞伎に対する「愛情」が感じられないなどと、きびしい評価が与えられている本です。
しかし、日本では芸術家について語るときに、芸術以外の側面、出世とか権力闘争などを語ることを忌避する傾向があるが、「女」や「酒」を芸の肥やしにする役者がいるのと同じように、権力闘争に勝ち、のし上がっていくことが芸の肥やしになるタイプの役者もいる、中村歌右衛門がまさしくそのタイプだったに違いないと著者は推測します。金と人を存分に使い、批判を圧殺し、観る者に有無を言わさぬ威厳を持つ、闘争に勝利したものだけが表現できる帝王様式の芸術も存在するのだと。それだけのオーラが、中村歌右衛門には合ったと。
その歌右衛門は9年前の今頃、3月31日に亡くなったそうです。
東京は桜が満開にもかかわらず、朝から雪が降るというめずらしい天気でしたが、夕方には雪もやみ、夜空には月が浮かんだそうです。
地面には雪が残り、見上げれば満開の桜、天を仰げば月が浮かぶ。日本の美を象徴する、雪、月、花が揃った夜に演劇史に残る女形、中村歌右衛門は世を去った。そのエピローグが印象に残ります。
この三冊に共通するものは「熱気」であると思います。「私の「歌舞伎座」ものがたり」は舞台上の熱気、「大向こうの人々」は客席の熱気、「十一代目團十郎と六代目歌右衛門」は舞台裏の熱気。
あと40日ほどで閉じられてしまう歌舞伎座では、多くの名優や観客たちによるさまざまな熱いドラマが繰り広げられていたのでした。
その最後の一年に、ギリギリセーフで歌舞伎に出会えたこと。そして、團十郎の弁慶や幸四郎の松王丸、吉右衛門の碇知盛、菊五郎の狐忠信、勘三郎の俊寛、仁左衛門と玉三郎の郭文章などなどを、伝統ある現行歌舞伎座で観られたこと、その熱気の片鱗に触れられたことは、とてもとても幸せなことだったんだなとつくづく思いました。
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